ヘリウム液化機の内部は液化運転中当然のことながら極めて温度が低くなります。 このため液化機の主要部分は外から熱が伝わらない様に真空断熱層(コールドボックス:以下CB)の中に入っています。 しかしこのヘリウム液化機のCBは真空度をいつまでも維持できるものではなく液化運転終了後時間の経過とともに真空劣化を起こします。 真空度が悪くなると断熱の効果が薄れてしまうので液化機の内部は低温を維持できず徐々に暖まってしまいます。 このためヘリウム液化機には再排気できるよう排気装置(ロータリーポンプ)が付帯されています。
ヘリウム液化機の運転においては起動時の液化機内部の温度が予備冷却過程の所要時間に大きな影響を与えています。 例えば液化機内部がまだ冷えていれば予備冷却過程の所要時間は短くなり、 逆に内部が暖まっていると予備冷却過程が長時間になってしまいます。 つまりCBの真空度を維持できれば液化機内部の温度上昇が抑制でき予備冷却時間の短縮につながると考えられます。 そこで今回はCBの真空度を維持するため既存の排気方法を変更して温度上昇を抑制できるのか試してみましたのでご紹介いたします。

<ターボ分子ポンプ直付け排気>
当初の排気システムではCBの排気口63mmから継手を介して25mmへサイズダウンされ(ISO-K63⇒ISO-KF25)、 電磁弁、フレキチューブを経由してロータリーポンプへつながっていました。 運用ではCBの圧力(PI3905)が1.0Paまで上昇すると自動でロータリーポンプが起動して0.3Paまで排気できると自動で停止するようシステムが組まれていました。 千葉大での液化運転頻度は概ね週に1,2回で、CB圧が1.0Paまで上昇してしまう事は稀で基本的には無排気の状態で運用してきました。 1.0Paまで達しないとは言え真空劣化した状態での運用ではやはり内部温度の上昇が気になるところでした。 そこでまずこの排気システムの内、ロータリーポンプだけを取り外しターボ分子ポンプ(以後TMP)排気セットに付け替えて連続排気を試しました (その前に既設のロータリーポンプで連続排気を試すべきでしたがうっかりしており試しておりません)。 TMP排気セットに交換して約一年運用していく内にこの排気経路に設置されている電磁弁のオリフィス径(吸入する開口部)が非常に小さく十分な排気能力が得られていない事が分かりました。 そこで今回はこの電磁弁と径落し継手およびフレキホースを取り払い、CBの排気口と同口径(ISO-K63)のTMPを直付けして排気する事を試しました。 なお、元々設置されていたロータリーポンプはTMPのバックポンプとして流用しています。 配管を取り外した際、電磁弁を確認するとオリフィス径が非常に小さくなっていてここがボトルネックとなっていた事がよくわかりました。 今回のTMP直付けで大幅な排気能力の向上が期待されます。

図1-1.【従前】径落し継手、電磁弁、フレキチューブあり
 
図2-1.【改良後】ターボ分子ポンプ直付け
 
図1-2.オリフィス径が小さい 図2-2.大口径で大幅改善


<真空度と内部温度>
真空度についてはCBに設置されている真空計PI3905の値を、液化機内部温度については三重管近傍にある温度計TI3280の値についての下記3つの条件のデータをそれぞれ比較してみました。

@無排気(従前の運用状態)
ATMP排気セットによる連続排気(有効径が小さく排気経路が長い)
BTMP直付けによる連続排気(有効径が大きく排気経路も短い)

まず、コールドボックスの真空度(CB圧)について液化運転終了〜5日分の連続したデータが残っているものを抽出し、 この5日間の平均気温が上記3条件ともになるべく近い温度帯のデータを選び出して比較しました。 図3に運転終了後のCB圧の時間変化を示します。 これによると無排気に比べてTMPで排気した方が当然ながら真空度を保っていることがわかります。 しかし、有効径および排気経路の長さが異なるAとBでどれほど振る舞いに違いが出るのかと期待しましたが差はほとんど出て来ませんでした。 他にも平均気温が近接した別の温度帯があったので確認しましたがいずれも同様の結果になってました。 結局のところ排気流路のインピーダンスはあまり影響を与えていなかったのでしょうか。 TMPで排気した圧力域を拡大したものを図4に示します。 これによるとTMP直付けのBの方が申し訳程度に真空度が良い事がわかります。 測定値が双方とも周期的に波打っているのは朝昼晩という一日周期の気温の影響を受けているのでしょうか。

図3.運転終了後のCB圧の時間変化 図4.CB圧の時間変化(図3の拡大)

続いて液化機の内部温度の変化についても同様に測定期間の平均気温がなるべく近いものを選び出して比較してみました (※真空度データと同様に5日分のデータで比較すべきところでしたが別件バルブ操作により温度TI3280が影響を受けているデータが続出したため比較時間がそろっていません)。 表1および図5に液化機内部温度の時間変化を示します。 これによると約2.5日経過した段階で無排気に比べてTMPで連続排気したものの方が温度上昇は約20Kほど抑制されています。 この結果については期待していたものよりもはるかに小さな効果となっており、素直な感想としてかなり落胆しました。 図3で示されたようにCB圧が液化運転終了時からほぼ維持できているので液化機の温度上昇もそれなりに抑制されているもの(例えば50K、100Kぐらい)と期待していたのですが。 また、真空度の比較でほとんど差が出なかったAとBに関して温度上昇についても大した差は出ていませんでした。 むしろTMP直付けのBの方がやや温度が高いのが不可解に感じます。

表1.温度上昇の比較
  @
無排気
ATMP
排気
BTMP
直付け
昇温期間の
平均気温(℃)
15.54 15.47 15.48
TI3280
初期温度(K)
4.78 4.75 4.73
TI3280
2.5日経過後(K)
202.89 178.65 182.11
上昇幅
(K)
198.11 173.89 177.38
@無排気との
温度差(K)
- -24.24 -20.78


図5.運転終了後の内部温度の時間変化


<予冷過程の所要時間>
今回の試みの最終的な目的である予冷過程の所要時間が短縮できたのかについて見てみます。 図6に起動時の液化機内部温度と予冷所要時間の関係を示します。 まず、CBの真空度が維持された状態では従来の真空劣化した状態に比べて冷却速度そのものは速いのでしょうか? 起動時の初期温度が同じでも速く冷却が進むのであるならば無排気の分布の下側に平行移動したような分布が現れるのではと期待されます。 しかし図6を確認すると残念ながら無排気つまり真空劣化を起こした時の冷却状況の分布と同じ帯の上にあります。 残念ながらCBの真空度を維持できたからと言って冷却速度が速くなるという事は無いようです。

図6.起動時温度と予冷所要時間 図7.起動時温度と予冷所要時間(図6の拡大)

次に表1や図5で示されたように液化機内部温度の上昇がわずかながら抑制されたことによる所要時間の短縮状況を見てみます。 起動する頻度の高い温度帯である220K以上を図7に示します(図6の拡大図)。 これによると例えば起動時温度が220K近傍のデータAは予冷の所要時間は3:20ほど、280K近傍のデータBは4:10ほどと大雑把に読み取れます。 A-B温度差が60Kで所要時間に50分の差があります(表2)。 この比率を用いると今回の試みで運転終了後2.5日経過した時点で約20Kの温度上昇抑制が確認されたので単純計算で17分の時間短縮が達成できたという事になります。 仮に運転終了後5日経過した時点で無排気との温度差が30Kになったと仮定すると予冷の所要時間は25分短縮できると計算されます(表3)。

表2.温度差と時間差
  起動時温度 予冷所要時間
A 220K 3:20
B 280K 4:10
A-B差 60K 0:50
⇒ 以上の対比関係より
温度に10Kの差があると 8.3分 の時間差がつく
表3.実測成果からの計算
  昇温抑制の成果 推定短縮時間
実測データ
2.5日後
約20K 0:17(推)
仮想データ
5日後
30K(仮) 0:25(推)


<昇温の要因は?>
真空度を維持することで温度上昇を抑制する試みでしたがその効果は今回小さな結果しか得られませんでした。 この事より温度上昇へ寄与する要因としてはCB内外へ通じる配管や熱交換器のような内部構造物の支柱等による熱伝導やもしくは輻射熱の方が影響力が大きいのかもしれません。 そこで今度は昇温時の平均気温の違いによって温度上昇具合にどのような差が出ているのか様子を見てみす。 図8に昇温時の平均気温毎に液化機内部温度TI3280が運転終了から1日後、2日後、3日後と上昇していく様子を示します。 液化運転終了直後はほぼ横並びの温度分布(図8では分布が良く見えるよう140K未満は割愛してます)のはずですが 1日経過後140〜150K付近での分布では微妙に傾きが生じており、やはり平均気温が高い方が温度上昇が大きくなっていることがわかります。 しかし2日後、3日後と追ってみましたが傾きが大幅に大きくなる様子は見られませんでした。 もっと如実に傾きの変化が見られるかと想像しておりましたが、それほどの気温依存もないようです。 3日経過後の分布で確認すると昇温時の平均気温が約15℃の差があると昇温幅は10K程度の差になっています。 また、図9に液化機内部温度TI3280の運転終了後からの昇温状況を平均気温毎に色分けして示してみました。 これによると虹色のグラデーションが現れやはりきれいに気温に依存している様子がわかります。 ただし経過時間とともに広がっていく気温毎のデータ幅は広がり具合が小さく、5日経過した時点で平均気温に15℃の差があると昇温幅は15K程度の差となっています。 図9はBTMP直付け連続排気した際のデータですがATMP連続排気や@無排気も概ね同じ傾向が見られました。 図8、図9で確認した気温依存の傾向がとても大きく出ていれば液化機の温度上昇へ寄与する要因として熱伝導がそれなりに比重があるのでは? との見方もできるかと考えていましたが何とも言えない状況です。

図8.平均気温毎の昇温状況(経過時間毎) 図9.平均気温毎の昇温状況(平均気温毎)

今回の試みでは予冷過程3〜4時間という時間スケールに対して約20分前後の時間短縮という成果が得られました。 計算してみますと総時間に対して短縮時間はわずか一割程度です。 これには期待が大きかっただけにちょっと物足りない結果と感じてしまいます。 排気経路が長く有効径が小さかった従来の状況を大幅に改善したのにほとんど差が出なかったのはどういう事なのでしょうか。 冒頭で書いたように液化運転終了後、無排気の状態で放置していてもCB圧が1Paまでめったに上昇しないこれまでの運用状況や 図3、4で示されたように連続排気を行えば真空劣化することもなく真空度を維持できていることを勘案すると、 そもそも漏れやアウトガスが少なくCBは良好な状態だったのかもしれません。 だとすれば排気能力の高いTMPを導入せずとも元々付帯していたロータリーポンプの連続排気で十分だったのかもしれません。
なお、CB圧PI3905を測っている真空計は測定範囲が大気圧〜0.02Paとなっていますが 液化運転中の値を確認すると0.09Pa前後を推移していました。 この値は図3、4で示したTMPで排気している時の値と同じ値となっています。 本来液化運転中はCB内は温度が非常に低くなりクライオポンプの効果で真空度が良くなるはずなので測定限界の0.02Pa未満を示すものと思われます。 この事より真空計の校正がずれており測定限界値が0.09Pa前後になっているのではないかという疑念が生じます。 仮にそうだとすると図3、4ではAとBは大差無いように見えていましたが実際にはBはもっと真空度が良いのかもしれません。 しかしながら真空度が良かったとしても液化運転終了後のCB内の温度上昇を抑制する効果が秀でていなかった事もまた事実でした。
せっかくTMPをCB排気口に直付けしたので何かしらその効果を見出したいところでしたが 今までよりも高真空まで排気できていたとしてもそもそも昇温抑制の効果はやはり小さかったのかもしれません。