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Research Topic

熱及び光誘起輸送現象・スピン流輸送・ホール効果

温度勾配や光照射で誘起されるスピン流、熱ホール効果、量子スピン液体の熱輸送を、微視的模型から明らかにします。

熱(温度)と光は、人類が容易に準備・制御できる物性科学における外部パラメータと言えます。 これらをナノ又はマクロスケールの多体系に巧く印加することで生じる物理現象は、基礎物理学と工学の両観点から注目されており、この設定の中から多くの新しい現象を発見・予言できる可能性があります。 実際、スピントロニクスにおいても、光と熱でスピン流や磁化を生成・制御することは重要な研究テーマと言えます。

主な成果

(C1) スピンゼーベック効果・スピンポンプ

スピン流(スピン角運動量の流れ)を生成する代表的な方法として、(1)磁性体に熱勾配を印加してスピン流を生成するスピンゼーベック効果と(2)適当な周波数(GHzの場合が多い)の光を磁性体に照射してスピン流を生成するスピンポンプ現象が挙げられます。 スピントロニクス研究で良く使われるYIG(イットリウム鉄ガーネット)などの強磁性(正確にはフェリ磁性)絶縁体においては、角運動量を持つ準粒子であるマグノン(右図)がスピン流のキャリアとして働きます。 (アニメーション:原子力機構松尾衛氏提供)

スピンゼーベック効果の実験セットアップは右図のように与えられます。 「対象とする磁性体にスピン軌道相互作用の強い非磁性金属(Ptなど)を接合し、その接合系に温度勾配を与える」 スピンゼーベック効果の概念図 という単純な状況が基本構造です。 温度勾配により磁性体中の準粒子がスピン流を生成し、それが金属に注入されます。 さらに、金属中で生じる逆スピンホール効果を介してスピン流が温度勾配と垂直方向に流れる電流に変換され、その電圧降下を測定することで磁性体中のスピン流の存在が間接的に確認される、という仕組みです。 スピン流は保存流ではない為直接観測することが困難であり、それ故金属を接合する点が電子系のゼーベック効果と本質的に異なる点であり、またスピンゼーベック効果の特徴とも言えます。

これまでの磁性絶縁体におけるスピントロニクス研究では、強磁性体とその準粒子であるマグノンの性質に焦点が当てられてきました。 しかしながら、長い歴史を持つ磁性研究から、強磁性体の他に多様な磁気秩序と磁気的準粒子が実在することが明らかにされています。 そこで我々は、強磁性体と極端に対照的な対象である擬1次元S=1/2量子反強磁性体Sr2CuO3に焦点を当て、そのスピントロニクス機能を調べました。 この系の磁性は反強磁性相関の発達した量子スピン液体(つまり長距離磁気秩序がない)で記述され、その低エネルギー励起は典型的な分数励起であるスピノン対で支配されていることが、よく知られています。 我々は、この系におけるスピンゼーベック効果の実験を実施し、スピンゼーベック電圧の観測に成功しました。 これは磁気秩序がない混沌とした量子状態におけるはじめてのスピン流の観測であり、またマグノンではない新しいスピノンスピン流についての初の実験結果でもあります。 実際、原子スケールのデバイスを想定するとき、強磁性秩序をはじめとする磁気秩序は熱・量子揺らぎの効果で破壊され、一方で量子スピン液体はナノサイズの系でも実在し得ることが理論的に予想されます。 この意味で、量子スピン液体におけるスピントロニクス機能の研究は純粋に理学的な面だけでなく工学的な意味でも有意義な研究対象と考えることが出来ます。

Sr2CuO3 におけるスピンゼーベック効果

Sr2CuO3の実験結果は右の図に示してあります。 (a)がスピンゼーベック電圧の外部磁場依存性、(b)が同電圧の温度依存性を示しています。 (b)では、比較対象として非磁性物質MgOと金属Ptから成る系のゼーベック電圧(灰色の点)が示されています。 MgO/Ptの系では、Ptで生じるネルンスト効果の影響で正の電圧が観測されていますが、ターゲットのSr2CuO3/Pt系の結果(青点)は、ネルンスト効果に打ち勝って量子スピン鎖が負の電圧を発生させていることを示唆しています。 2つのパネル(a)(b)から、スピン液体のスピンゼーベック電圧は外部磁場に比例し負の値を示すことが証明されます。 一方、強磁性体のスピンゼーベック電圧は、磁場とともに減少し正符号を取ることが知られており、我々の研究が、スピノンスピン流がマグノンスピン流と対照的な性質を持つことを明らかにしたと言えます。 我々はこれらのスピノンスピン流の特性を説明する微視的理論の構築にも成功しています。以上の量子スピン液体におけるスピンゼーベック効果の研究が、急速な発展を遂げているスピントロニクスと多様な磁気秩序を探求する磁性研究の間の架け橋を与える先駆的な研究になることを期待しています。 現在、1次元量子スピン液体のスピンゼーベック効果の微視的理論についての論文も準備中です。

参考文献

(C2) 熱ホール効果

ホール効果は特に物理学で研究対象となる輸送現象です。 広義には、何らかの流れを生成する外部パラメータ(電圧や温度勾配)を印加した方向と垂直方向に流れが誘起される現象をホール効果と言ってよいでしょう。 ホール効果のsetupは一見マニアックに思えますが、2次元電子系における量子ホール効果の研究を契機に、ホール伝導度が系の準粒子の波動関数の波数空間におけるトポロジカル(幾何学的)な性質を反映することが広く認識され、ホール効果は理論物理学に興味深い研究テーマを提供し続けています。 磁性絶縁体における準粒子は通常電荷をもたない為、金属とは異なり、電場では流れを引き起こすことができません。 しかしながら、熱勾配を印加すれば磁性絶縁体においても準粒子のホール効果が起こり得ます。 実際、最近の研究により、マグノンによる熱ホール効果が観測されています。 我々は、磁性絶縁体における新しい熱ホール効果の理論を現在構築中です。

参考文献

  • E. Takata and M. Sato, in preparation.

(C3) キタエフ模型候補磁性体 RuCl3 の熱輸送におけるスピン液体的挙動

キタエフ候補物質 alpha-RuCl3

量子スピン液体状態を示す量子磁性体の模型の1つとしてハニカム格子上のキタエフ模型が知られています。 キタエフ模型とは、(上の解説でも登場しましたが)ハニカム格子の各格子点に住むスピン1/2によって定義されており、ハニカム格子の3種類の隣接スピン間ボンドに各々異なるイジング型結合(x,y,z方向のイジング相互作用)が配置されています。 この異方的相互作用が系にフラストレーションをもたらします。 この模型はキタエフ氏により厳密に解けるtoyモデルとしてはじめ導入され、基底状態は磁気秩序をもたないスピン液体になり、(マヨラナ)フェルミオン励起をもつことが知られています。 キタエフ氏の提案の後、キタエフ模型がスピン軌道相互作用が強いモット絶縁体の有効模型に成り得ることが認識され、キタエフ候補物質の探索やその物性研究が精力的に行われるようになりました。 そのような中で、我々はキタエフ模型候補物質の1つである擬2次元磁性体Alpha-RuCl3に注目しました。 RuCl3は、擬スピン1/2の自由度を持つRuイオンがハニカム格子を形成したスピン軌道相互作用の強いモット絶縁体と考えられています(右図)。 それ故、その磁気的振舞いはキタエフ模型に近いモデルで記述できると期待されています。 実際、比熱や帯磁率などの温度依存性はキタエフ模型に近い挙動を示しています。 純粋なキタエフ模型は絶対零度まで磁気秩序は発現せずスピン液体が実現しますが、現実の物質であるRuCl3はキタエフ模型からの当然ずれている為、低温で磁気秩序が発生してしまいます。 しかしながら、最近の幾つかの実験は、磁気転移温度より高温側の常磁性相においてRuCl3がフェルミオン的励起を持つことを示唆しています。 そこで我々は、RuCl3のスピン液体的性質を明らかにする為に(さらには新しいスピントロニクス機能を探索する為に)、この系の熱輸送特性に着目しました。 実際、幾つかのスピン液体状態を示すフラストレート磁性体の特徴は輸送現象により明らかにされています。 我々の測定は、RuCl3の熱伝導度の中に高温領域において磁気的なキャリアによる寄与が有意に存在することを明らかにしました。 これは、RuCl3の高温領域がやはりキタエフ模型に近く、マヨラナフェルミオン的な励起が熱伝導に寄与していることを示唆する結果と言えます。

参考文献